桓武天皇が延歴13年(西暦794年)におこなった平安京への都遷り(平安遷都)以前、京都には有力豪族が建立した寺院が山すそに建立され、街を見下ろすように立っていました。
それら古代寺院は一体どうなったのでしょうか?
京都の代表的な古代寺院についてまとめています。
飛鳥時代から続いた京都盆地で最古の古代寺院・北野廃寺
西暦794年、平安京に遷都した桓武天皇ですが奈良の仏教勢力の進出を恐れ、奈良にあった寺院が平安京へ移転・移築することを決して許しませんでした。
ただし地元豪族の協力を得るために平安遷都以前に建立された豪族建立の寺院は認められ、京都の豪族が建立した寺院が現在「古代寺院」として一部残されています。
ところが平安中期、地方豪族の力が衰えるにつれて寺院も廃れて土の中に埋もれていったのです。
そのため当時は隆盛を極めた寺院であってもすでに建物はなく、廃寺となっています。
後世の研究者による発掘により古代寺院の遺構が見つかり、やっと廃寺の存在が判明してきたのです。
廃寺の中でも代表的な古代寺院は「北野廃寺」。
太秦から続く台地の東端(北区北野上白梅町)に北野廃寺跡があり、1977年に北野廃寺跡の石標が設置されました。
北野廃寺は飛鳥時代から平安時代中期までその地に存在し、京都盆地では最古の古代寺院であることが分かっています。
この北野廃寺については…
・太秦広隆寺の前身である蜂岡寺(はちおかでら)ではないか?
・平安遷都後に桓武天皇が建立した常住寺(じょうじゅうじ)ではないか?
など諸説あり、ハッキリした縁起や建立者などはわかっていません。
出土品には平安時代以前の土器や、軒先瓦、丸瓦、平瓦などの瓦類、鉄製品、国産陶磁器、輸入陶磁器などが多数あり、当時の面影を知ることができます。
今は中学校の敷地に!白鳳時代に建立された古代寺院・大宅廃寺
大宅廃寺跡は山科区の大宅中学校の校門内に廃寺跡の石標が設置されており、大宅廃寺跡は現在中学校の敷地になっています。
飛鳥時代(白鳳時代(7世紀))に建立されたとみられる古代寺院で、2004年6月には個人住宅の建築に伴い廃寺の発掘調査を実施。
その結果、瓦積みの基壇跡が見つかり、さらに塔の先端の飾り「水煙(すいえん)」の一部も発見されました。
過去からの発掘調査の結果、大宅廃寺は北側に講堂、西側に金堂、東側に塔が建っていたと推測されており、今後も発掘の機会があればさらに廃寺の詳細なデータが得られるものと期待されています。
まとめ
京都市内には北野廃寺や大宅廃寺以外にも、樫原廃寺跡、南春日町廃寺、おうせんどう廃寺、醍醐廃寺などさまざまな廃寺跡が発見されています。
なかには現存する古代寺院もあり(法観寺・広隆寺・珍皇寺)、古代から続く仏教文化を目で見て確認できる貴重な史跡です。
ただ現存する古代寺院は創建当初の姿を残したものではなく、火災などにより何度も再建された寺院も。
また創建時期も書物などできちんと判明したものではなく、出土品から年代測定されたデータを元に推定されているため、今後技術の進歩により創建時期がさらに絞られる可能性もあります。
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